《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を解説|誰が踊り、光はなぜ斑になるのか

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を、実在したモンマルトルのダンス酒場、記録から同定されたモデル、木漏れ日の描写、1877年の賛否両論から読み解きます。

Art4編集部読了 12分
ピエール=オーギュスト・ルノワールの絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》、1876年、オルセー美術館

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》は、架空の祝祭でも、匿名の群衆でもありません。ルノワールが描いたのは、モンマルトルに実在した日曜日のダンス酒場と、そこへ実際に集まった友人や近所の若い女性たちです。人々の服や地面には、輪郭のはっきりしない光の斑点が散っています。当時の批評家の一部はこれを「画面の混乱」と呼びましたが、木々の間から落ちる午後の光こそ、この絵の主役でした。誰がいて、光がどう働いているかを順に見ると、150年前の踊る午後が具体的に戻ってきます。

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》の基本情報

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会の基本情報
項目内容
制作1876年(春から夏に現地で制作、秋から冬にアトリエで仕上げたとみられる)
技法油彩・カンヴァス
寸法131.5 × 176.5 cm
主題の場所パリ、モンマルトルの丘のダンス酒場「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
所蔵オルセー美術館(1896年、ギュスターヴ・カイユボットの遺贈により国家収蔵)

横幅176.5cmという寸法は、屋外の集団を主題にした印象派絵画としては異例の大きさです。オルセー美術館は、この堂々とした画面の大きさ自体が、20代のルノワールの芸術的な野心の表れだったと説明しています。作品は1877年の第3回印象派展に出品され、画家ギュスターヴ・カイユボットの手元を経て、1896年の遺贈でフランスの国家コレクションに入りました。

つまりこの絵は、完成の翌年に公開の場で議論を浴び、そのまま印象派の画家仲間のコレクションで守られ、国の美術館へ渡ったという、印象派の歴史そのものをたどった一枚です。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、風車のある日曜日のダンス酒場

題名の「ムーラン(moulin)」は風車のことです。モンマルトルの丘には19世紀、ラデ(Radet)とブリュット=ファン(Blute-Fin)という二つの古い風車が残っており、その周りに1834年から続く行楽場がありました。オルセー美術館の解説によれば、1870年代のこの店は粉屋の息子ピエール=オーギュスト・ドブレーの持ち物で、毎週日曜日の午後から深夜0時まで、食事のできる舞踏会を開いていました。

ルピック通りの入口から中庭を抜けると、1873年に建て直された木造のダンスホールがあり、その先にアカシアの木、ベンチ、遊具のある第二の中庭が続きます。小さな楽団が舞台の上で演奏し、10サンチーム払えば階段でブリュット=ファンの上まで登り、パリの眺望を楽しめました。ルノワールが描いたのは、この屋外の中庭です。

客層について美術館は、労働者の家族、勤め人、学生といったモンマルトルの住民が中心で、そこに画家たちが混ざっていたと説明します。シャンゼリゼ近くの派手な舞踏会場とは違う、庶民的な週末の場所でした。高級な社交界ではなく、仕事着に近い服で踊る人々の午後を、サロン向けの歴史画に匹敵する大きさで描いたことが、この作品の最初の逆転です。

踊っているのは、記録に残る友人たちと近所の若い女性

記録から同定されている主な人物
人物画面上の位置わかっていること
ジャンヌとエステル前景のベンチ、縞のドレスの姉妹16歳のお針子と記録される妹エステルが手前に座る
ジョルジュ・リヴィエール前景右のテーブル若い批評家。のちに回想録『ルノワールとその友人たち』を書く
フラン=ラミー、ノルベール・グヌットテーブルを囲む男性ともに画家。グヌットは《ぶらんこ》にも登場する
マルゴ(アンリエット=アンナ・ルブフ)画面左、踊る女性1875〜79年にルノワールが繰り返し描いたモデル
ソラレス・イ・カルデナスマルゴと踊る背の高い男性キューバ出身の画家

この絵の人物は、想像上の群衆ではありません。ルノワールの友人だった批評家ジョルジュ・リヴィエールが回想録を残しており、オルセー美術館はそれをもとに主要な人物を同定しています。前景のベンチには16歳のお針子ジャンヌとその姉妹エステルが座り、テーブルには画家のフラン=ラミーとノルベール・グヌット、そしてリヴィエール本人がいます。左で踊るのは、ルノワールが繰り返し描いたモデルのマルゴと、キューバ出身の画家ソラレス・イ・カルデナスの組です。

美術館の解説で重要なのは、ルノワールが職業モデルを雇わず、画家仲間と、報酬を払ったモンマルトルの若い働き手たちにポーズを頼んだという点です。画家アンリ・ジェルヴェクスとサミュエル・コルデも参加したと記録されますが、画面のどの人物かまでは特定できません。また、登場人物の間に恋愛関係があったという証拠はないとも明記されています。楽しげな男女の組み合わせから物語を読みたくなりますが、確認できるのは「友人たちが集まって、踊る場面を作った」ことまでです。

事実として同定できる人物と、画面から受ける印象を分けて見ること。これは絵の見方を手順にした記事でも勧めている、名画を消費せずに読むための基本の順序です。

現場で描き、アトリエで仕上げた

オルセー美術館は、この絵の大部分が1876年の春から夏にかけて現地で描かれ、おそらく秋から冬に、コルト通り、のちにサン=ジョルジュ通りにあったルノワールのアトリエで仕上げられたと説明しています。ルノワールは当時、ムーラン・ド・ラ・ギャレットから歩ける距離のコルト通りにアトリエ兼住まいを借りていました。目の前の題材を、通いながら描いた絵です。

構想の途中経過も残っています。先行する油彩の習作(1875〜76年)では、ダンスホールの建物や木、街灯といった空間の手がかりが今より大きく扱われていました。完成作でルノワールは地平線を画面のかなり高い位置へ上げ、木々の緑で建物を隠しています。屋内の施設ではなく、木陰の下の野外の宴という印象が強まったのは、この選択の結果です。

さらに、ルノワールは階段の上から見下ろす、やや高い視点を選びました。これによって手前の人物の向こうにダンスフロアが広く見え、群衆を最後列まで積み重ねられます。「その場で一瞬を写した」ように見える画面は、実際には視点、地平線、植生の見せ方を選び抜いた構築物でした。印象派は無計画な速描きだという誤解を解く、わかりやすい実例です。

服の上の丸い斑点は、汚れではなく木漏れ日

この絵でもっとも議論を呼んできたのは、人物の帽子、上着、地面に散る、輪郭のぼやけた明るい斑点です。オルセー美術館は、アカシアの葉で濾された光が、人や物の上にバラ色やオレンジ色の色斑となって落ちている状態だと説明します。つまりこれは筆の乱れではなく、木漏れ日が動く屋外で人を見るとき、実際に目へ届く光の描写です。

ルノワールの筆づかいも、この光と一体になっています。美術館の解説によれば、画面全体は青みがかった紫を基調とする色調で統一され、要素と要素をはっきりした輪郭線で区切る箇所がほとんどありません。前景の顔や花束でさえ、線で縁取らず、色の触れ合いだけで形を示しています。輪郭を閉じないからこそ、光の斑点が人物の上を自由に横切れます。

日なたと日陰の境界を探しながら見ると、この絵の空間が読めてきます。手前のテーブル周りは木陰にあり、青紫の影が支配的です。奥のダンスフロアには日光が差し込み、人々の肩や地面が明るく点灯します。影の中の集まりと、光の中の踊り。二つの領域を行き来する視線の運動が、音楽が聞こえるような画面のにぎわいを作っています。

構図は三つの層でできている

オルセー美術館は、この画面を三つの層に分けて説明しています。第一に、画面奥の層。顔の判別がつかなくなるまで人物が小さくなり、群衆の効果そのものが描かれます。第二に、画面左の中景。マルゴとソラレスの組をはじめ、動きの途中にある踊り手たちの層です。第三に、前景右の層。ベンチとテーブルを囲む十人ほどのグループが、視線と身振りで互いにつながっています。

三つの層は、同じ青紫の色調と、同じ木漏れ日に覆われることで一枚につながります。手前から奥まで、光の扱いが変わらないため、視線は自然に群衆の奥へ滑り込みます。前景の会話、中景の踊り、遠景のざわめきという三種類の時間が、一つの午後として同時に流れています。

この構図は、10年後にスーラが同じ「週末の行楽」を主題に描いた《グランド・ジャット島の日曜日の午後》と見比べると際立ちます。スーラは人物を彫像のように静止させ、輪郭を明確にしました。ルノワールはその反対に、輪郭を溶かし、すべてを動きの途中で止めています。同じ近代の余暇という主題が、正反対の方法で絵になり得たことがわかります。

1877年、同じ画面が「混乱」とも「生命力」とも呼ばれた

作品は1877年春、ル・ペルティエ通りで開かれた第3回印象派展に出品されました。オルセー美術館が引く当時の批評には、正反対の評価が並んでいます。否定的な側は「画面の混乱」や「奇妙な色調の追求」を非難しました。木漏れ日の斑点と輪郭のない筆致は、仕上げの放棄と受け取られたのです。

一方で、エミール・ゾラは1877年4月の記事でこの絵の「並外れた生命の強度」を認め、別の批評家は、この種の庶民的な酒場の気配を正確に捉えたと書きました。もっとも名高いのは、友人リヴィエールが展覧会に合わせて書いた一文です。「騒がしさ、笑い、動き、太陽、若さの空気。これこそがルノワール氏の舞踏会だ。これは歴史の一頁であり、パリの生活の貴重な記念碑である」。

賛否のどちらも、同じ特徴を見ていたことに注意してください。輪郭の消失と光の斑点を、欠陥と見るか、都市の週末を記録する新しい方法と見るか。評価が割れたのは、絵が中途半端だったからではなく、絵画に何を求めるかの基準そのものがこの時期に動いていたからです。印象派という運動の成り立ちは印象派とは何かを整理した記事で詳しく扱っています。

一枚に見えて、関連作品がいくつかある

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》と呼ばれる絵は、オルセーの一枚だけではありません。まず、構想段階の油彩習作(1875〜76年)が現存し、完成作より建物や街灯が目立つ初期の構図を伝えています。オルセー美術館の解説記事でも、この習作が完成作との比較として紹介されています。

さらに、完成作とほぼ同じ構図のより小さいヴァージョンが存在し、こちらは個人コレクションにあります。1990年の競売で高額落札が報じられ、作品の知名度を押し上げました。ただし、小型版が大画面のための準備だったのか、完成後に描かれた反復だったのかは、研究者の間でも見解が分かれています。「どちらが先か」を断定する説明を見かけたら、確定した事実ではなく解釈だと考えてください。

また、同じ1876年の夏、ルノワールは同じモンマルトルの庭で《ぶらんこ》を描いています。こちらも現在はオルセー美術館にあり、木漏れ日の色斑という同じ課題を、少人数の場面で試した姉妹作といえます。《ぶらんこ》には《舞踏会》と同じく画家グヌットが登場します。二枚を並べて見ると、1876年のルノワールが「木の下の光」をどれほど集中的に追いかけていたかがわかります。

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を見る順番

  1. まず前景右のテーブルを見て、こちらへ顔を向けた縞のドレスの姉妹を見つける
  2. テーブルの男性たちの視線が、誰に向かっているかをたどる
  3. 画面左へ移り、踊るマルゴとソラレスの組を見つける
  4. 服と地面に落ちた丸い光の斑点を数え、木漏れ日の方向を意識する
  5. 地平線がほとんど画面の上端にあることを確かめる
  6. 最奥の、顔が判別できなくなる群衆まで視線を送る
  7. 最後に画面全体へ引き、青紫の影と日なたの二つの領域を見比べる

小さな図版では、この絵は「にぎやかな群衆」という一つの塊に見えます。しかし実物は、会話、ダンス、遠景のざわめきが層をなす横長の画面です。ディスプレイで見る場合も、前景のテーブルだけを切り出すより、左の踊り手と奥の群衆まで残した方が、三つの層の関係が生きます。壁紙として使うときの解像度や切り抜きの考え方はMacBook壁紙の解像度ガイドにまとめています。

木漏れ日の午後を、デスクトップで見続ける

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参考資料・一次資料

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