北斎《神奈川沖浪裏》を解説|大波の下の舟と、小さな富士山

北斎《神奈川沖浪裏》を、三艘の舟、小さな富士山、白い波頭から見ていきます。メトロポリタン美術館の青い顔料と重ね摺りの研究、版画の一枚ごとの違いも、掲載画像とともに紹介します。

Art4編集部読了 8分
葛飾北斎《神奈川沖浪裏》。左からせり上がる青い大波の下に三艘の舟があり、奥に小さな富士山が見える
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》、1830–1832年頃、メトロポリタン美術館(JP1847)。Public Domain

大波の形は知っていても、舟が三艘あることには気づかなかった。そんな見落としが起こりやすい絵です。北斎の《神奈川沖浪裏》を少し大きくして、まず舟に乗る人を探してみてください。見慣れた青い模様が、急に身体に迫ってくるように感じられます。

《神奈川沖浪裏》は、富士山を描く連作の一枚

《神奈川沖浪裏》の読み方は「かながわおきなみうら」。葛飾北斎の木版画で、《冨嶽三十六景》という連作に含まれます。英語では The Great Wave として知られています。シリーズ名を聞いてから画像へ戻ると、波ばかり見ていた目が、遠くの富士山を探し始めます。

制作時期はメトロポリタン美術館の所蔵品情報に従い、1830–1832年頃とします。北斎は1760年生まれなので、70歳頃の仕事です。大きな壁画のような迫力がありますが、ここに掲載した一枚の寸法は縦25.7センチ、横37.9センチです。実際には両手で持てるほどの紙に収まっています。

掲載している《神奈川沖浪裏》の基本情報
項目内容
作者葛飾北斎(1760–1849)
連作《冨嶽三十六景》
制作時期1830–1832年頃(メトロポリタン美術館の表記)
技法木版画、紙に墨と色
掲載画像の所蔵先メトロポリタン美術館、作品番号 JP1847

小さな富士山が、波をいっそう大きくする

富士山は、画面の中央より少し右、舟の向こうにあります。青い山肌と白い雪だけの、小さな三角形です。山頂のすぐ上にも白い飛沫が散っていて、ぱっと見ると雪と水しぶきが続いているようにも見えます。

次に、左手前で立ち上がる小さな波を見てください。こちらも頂点のある山の形をしています。富士山より手前にあるため、紙の上ではずっと大きく描かれています。同じような形が近くと遠くに置かれているので、視線が二つの間を往復します。

メトロポリタン美術館も、北斎が遠近の扱いによって大きな富士山を波の内側の小さな山に見せている、と解説しています。ここから「動く海と動かない山の対比」を感じ取ることもできます。ただ、その言葉を先に覚えるより、山頂と波頭を見比べる方が、大小の隔たりを実感できそうです。

富士山の周囲には、何も描かれていない空が広がっています。もしここまで波や舟で埋まっていたら、この小さな山はずいぶん探しにくかったはずです。波を大きく描くことと、山の周りを空けること。その両方が、遠くの三角形に目を向けさせています。

三艘の舟をたどると、波を見る高さが変わる

舟は波と同じように細長く曲がっていて、最初は水の線に紛れます。手前の一艘を見つけたら、次はその上方、富士山の下を横切る舟へ目を移します。もう一艘は左の大波の下に隠れるように描かれています。

舟の縁には、人の丸い頭と低くかがんだ身体が並びます。顔は小さく、表情を細かく読み取ることはできません。それでも、人の大きさを物差しにすると、先ほどまで模様として眺めていた波が、身体をはるかに超える高さに見えてきます。

画面のどこにも、鑑賞者が足を置けそうな岸は見当たりません。手前も奥も水です。そのため、舟に近い高さから波を見上げているような感覚が生まれます。少し離れて全体を眺めるときと、舟の人を一人ずつ追うときとで、絵との距離が変わるのが面白いところです。

波が落ちた後の場面は描かれていません。舟がどうなったかを決めずに、今まさに波頭が覆いかぶさる瞬間を見てみましょう。白い飛沫は細かく散っているのに、大きな波の輪郭はくっきり残っています。その二つが同時に見えるので、動きの途中を止めたような緊張が続きます。

北斎の青は、一種類の絵具を塗っただけではない

波の青をよく見ると、明るい青の面と、帯のように走る暗い青に分かれています。この濃淡には、摺りの工夫がありました。

メトロポリタン美術館の科学調査では、プルシアンブルーと藍が使われていることが確認されています。プルシアンブルーは当時の浮世絵に取り入れられた輸入顔料で、日本ではベロ藍とも呼ばれます。調査によると、暗い線には二つの青を混ぜ、波の青い部分では色を重ねて摺っていました。濃い部分と明るい部分の違いは、単に顔料を薄めたり濃くしたりした結果ではありません。

大波の内側で、暗い帯と明るい青の境目を追ってみてください。帯は上へ向かって伸び、白い波頭の下へ消えていきます。色の差をたどるだけでも、水面が立ち上がる方向がわかります。

「北斎の青」と呼びたくなる色ですが、その見え方を紙に定着させたのは、版を彫る人や摺る人でもありました。同館の研究は、紙の表面に残る摺りの凹凸まで調べています。画面上の画像ではその凹凸を触ったり、斜めから見たりはできません。実物を見る機会があれば、色と一緒に紙の小ささや表面にも目を向けたいところです。

同じ《神奈川沖浪裏》でも、一枚ごとに違う

この作品を調べると、空が明るい画像、少し黄みがかった画像、青の濃い画像が見つかります。その違いがすべて写真や画面の設定によるものとは限りません。木版画は同じ版から何枚も摺るため、美術館ごとに別々の一枚を所蔵しています。

大英博物館は、版木から数千枚が摺られたこと、同館の一枚は輪郭の鮮明な初期の摺りであることを説明しています。《冨嶽三十六景》自体も好評を受けて10図が追加され、題名は三十六景のまま、全46図になりました。

別の画像と比較するときは、まず所蔵館と作品番号を確認すると混乱しません。本記事の画像はメトロポリタン美術館のJP1847です。次に、波頭の細い線、富士山の周囲の空、舟の輪郭を見比べます。色が違うから偽物だ、とすぐに判断することはできません。摺りや保存状態、撮影など、いくつもの条件が見え方に関わります。

美術館が公開する画像の探し方は、美術館オープンアクセス画像のガイドにもまとめています。所蔵品ページから画像へ進む習慣をつけると、どの一枚を見ているのかがわかりやすくなります。

最後に、白い形だけを追ってみる

一度、青から目を離して、白い部分だけを追ってみてください。大波の先の細かな曲線、左手前の波の頂点、富士山の雪。離れた場所にある白が、画面のあちこちで呼応しています。

そのあとで舟に戻ると、白い波の間を通る黄みがかった細い線が見つかります。波、舟、山の順でも、山、舟、波の順でもかまいません。どこから見始めるかによって、大きさや距離の感じ方が少し変わります。

色面と輪郭で奥行きをつくる工夫は、浮世絵を集めていたゴッホの絵にも見られます。《寝室》の記事では、手前の大きなベッドと奥の小さな家具を比べています。海の波から室内へ題材が変わっても、手前の形が画面全体の広さをどう変えるか、という見方はそのまま使えます。

参考資料・掲載画像

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