ゴッホ《寝室》を解説|傾いた部屋で描きたかった「休息」

ゴッホ《寝室》の黄色いベッド、傾いて見える家具、青い壁を眺めながら、手紙に記された休息への思いをたどります。三点の油彩画の違いと、色の復元資料がどの作品を指すかも整理しました。

Art4編集部読了 9分
ゴッホ《寝室》第2作。青い壁の部屋に黄色いベッドと二脚の椅子、洗面器を置いた机が並ぶ
フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》第2作、1889年9月、シカゴ美術館。Public Domain、Wikimedia Commons経由

この部屋に泊まるとしたら、よく眠れそうでしょうか。黄色いベッドは大きくて丈夫そうです。でも床は手前へせり出し、椅子も少し傾いて見えます。ゴッホはこの絵で休息を表そうとしていました。その言葉と、目の前の部屋の落ち着かなさの両方を覚えておくと、《寝室》はずっと気になる絵になります。

誰もいないのに、暮らしが見える部屋

描かれているのは、南フランスのアルルにあった「黄色い家」のゴッホ自身の寝室です。ベッド、二脚の椅子、小さな机。机の上には水差しや洗面器が置かれ、壁には絵と衣服が掛かっています。豪華な調度はなくても、寝起きして身支度をするための物は揃っています。

右側のベッドが、画面のかなりの面積を占めています。足元の板は正面近くまで迫り、枕は奥に小さく収まっています。その左には床が空いていて、入口から机や窓へ歩いていけそうです。誰も描かれていないのに、人が動く余地があります。そこに暮らしの気配が感じられます。

壁の絵も、持ち主のいる部屋だと感じさせる細部です。風景画が一枚あり、その右上に肖像が二つ並んでいます。壁に何を掛けるかという、ごく身近な選択が見えます。家具だけを描いた室内と比べて、部屋の主を想像しやすいのは、こうした小さな持ち物のためかもしれません。

なお、《寝室》の油彩画は三点あります。ここで掲載しているのは、1889年9月に描かれたシカゴ美術館所蔵の第2作です。広く知られる1888年の第1作と構図が似ているので、制作年と所蔵館をセットで覚えておくと、画像を見比べるときに迷いません。

ゴッホはこの部屋で「休息」を描こうとした

最初の《寝室》を制作していた1888年10月16日、ゴッホは弟テオに手紙を書きました。そこでは、色を働かせ、物の形を簡略にすることで、休息や眠りを感じさせたいと説明しています。絵を見る人の想像力を休ませたい、という趣旨の言葉もあります。

画家自身の説明を読むと、赤い掛け布や黄色い家具の見え方が少し変わります。強い色は、必ずしも怒りや不安のために選ばれたものではなかったわけです。細かな描写を追いかけるより、広い壁、大きなベッド、そこに収まる寝具といった大きな色のまとまりを見るよう促されます。

とはいえ、手紙を読んだからといって、急に落ち着いて見える必要はありません。床の線がせわしなく感じられたり、ベッドが近すぎると思ったりしても、その感覚は残ります。画家の目指したものを知ったうえで、自分はどこに安心し、どこで落ち着かなくなるかを探せます。

ここで気をつけたいのは、この手紙が第1作を描いていた時のものだという点です。掲載した第2作より約一年前の言葉です。三点を通じて続く題材への考えを知る資料として読み、1889年の制作をその場で伝える手紙とは分けて扱います。

傾いて見えるのは、画家の気分だけが理由ではない

床板の線、ベッドの側面、机の天板を順に追うと、奥行きの方向がすんなり揃いません。室内の写真を見るときとは違う、不思議な足場のなさがあります。これをすべてゴッホの心理状態と結びつける前に、二つの事情を知っておくと役立ちます。

一つは、実際の部屋の形です。ファン・ゴッホ美術館の解説は、古い建築図面を根拠に、窓のある奥の壁が側面の壁に対して斜めだったと説明しています。初めから、きれいな長方形の部屋ではありませんでした。

もう一つは、絵の描き方です。同館は、ゴッホが収集していた日本の版画にならって、影を省き、平らな色面で室内を簡潔に描こうとしたことを紹介しています。目立つ輪郭と大きな色の面が、家具を一つずつ浮かび上がらせます。

手前の椅子に目を移すと、座面はよく見えるのに、脚は急な角度で床に触れています。奥の椅子も、手前の椅子の単なる縮小版には見えません。それぞれの家具が、見やすい形で画面に置かれているようです。

強い遠近の差は、北斎《神奈川沖浪裏》でも楽しめます。あちらでは手前の波と遠い富士山、こちらではベッドの足元と奥の窓。二枚に直接の模倣関係があるという意味ではありません。近くの物を大きく置いたときに画面の奥がどう見えるかを、比べてみたいのです。

いま青く見える壁を、ゴッホは薄紫と書いていた

1888年の手紙には、壁は薄紫、ベッドや椅子は黄色、掛け布は赤、窓は緑、というように、色の説明が並んでいます。ところが、現在の画像で壁や扉を見ると、青の印象が強くありませんか。

ファン・ゴッホ美術館は、同館が所蔵する第1作について、時間の経過で壁や扉の色が薄紫から青へ変化したことを説明し、色の復元図を公開しています。元の色の組み合わせを考えると、黄色い家具と紫の壁、赤い寝具と緑の窓という対比が見えてきます。

この復元図は、本記事に載せたシカゴの第2作をそのまま色補正した画像ではありません。同じ題材でも作品は別なので、手紙の色名と今見ている複製画像を一対一で合わせようとしない方が、資料を読み違えずに済みます。

画像の青を見ながら薄紫だった場合を少し想像し、それから復元図を確かめてみてください。絵具の変化が、部屋の温かさや冷たさの印象にまで関わることがわかります。画家が塗った時の色と、いま目の前にある色の間にも、作品が過ごしてきた時間があります。

同じ部屋を、なぜ三度描いたのか

ゴッホは最初の《寝室》を気に入っていましたが、その絵は水害で傷んでしまいます。シカゴ美術館の展覧会資料によると、ゴッホが補強の処置を相談したのに対し、テオはその前にもう一枚描くことを勧めました。そうして1889年9月に制作されたのが、掲載した第2作です。

その後、母と妹に贈るため、少し小さな第3作も描きました。同じ題材を繰り返していても、一枚目は実際の部屋、二枚目は傷んだ作品、三枚目は家族へ届ける絵と、それぞれに違う事情があります。

三つの《寝室》を区別する目印
作品制作時期所蔵先・制作の事情
第1作1888年10月ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム。アルルで制作
第2作(掲載画像)1889年9月シカゴ美術館。水害で傷んだ第1作をもとに再制作
第3作1889年9月オルセー美術館、パリ。母と妹へ贈るための小さな作品

三点を比較するなら、最初は壁に掛かる肖像だけを見ると違いを探しやすくなります。次に、椅子の脚、枕の形、床の筆触へ目を移します。間違い探しのように差の数を競うのではなく、同じ部屋を描き直すときに何が残り、何が変わるのかを見てみましょう。

ゴッホが同じ題材を繰り返した例には《ひまわり》もあります。《ひまわり》の連作を整理した記事と併せて見ると、「知っている一枚」の向こうに、別の制作時期や贈り先があることに気づきます。

椅子に座るつもりで、もう一度眺める

最後は、手前の椅子に座ったつもりで部屋を見回してみてください。右には大きなベッド、斜め前には洗面器の載った机、その奥には窓。身体を置く場所を想像すると、傾きの説明を読んでいたときとは違う近さが生まれます。

逆に、画像を小さくすると、黄色い家具と青い壁、赤い寝具が大きな塊として残ります。拡大したときに目立った床の筆触や輪郭の揺れは、それほど気にならなくなるかもしれません。

この二つの距離を行き来したあと、「休息」という手紙の言葉を思い出してみてください。よく眠れそうかどうか、最初と同じ感想でもかまいません。ただ、その感想がベッドの大きさから来るのか、壁の色から来るのかは、少し話しやすくなっているはずです。

参考資料・掲載画像

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