ホルバイン《大使たち》の骸骨はなぜ歪んでいる?見える位置と意味を解説

ホルバイン《大使たち》の足もとの骸骨はなぜ歪んでいるのか。アナモルフォーシスの仕組み、見える立ち位置、記録にない元の展示位置、二人の外交官、棚の道具、十字架、メメント・モリを、ナショナル・ギャラリーの資料で解説します。

Art4編集部読了 15分
ホルバイン《大使たち》。緑のカーテンの前に二人の男性が立ち、あいだの二段の棚に天球儀や日時計、地球儀、リュート、本が並ぶ。足もとの床を、引き伸ばされた灰色の骸骨が斜めに横切っている
ハンス・ホルバイン(子)《大使たち》(ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴ)、1533年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー。Wikimedia Commons/Google Art Project、パブリックドメイン

ハンス・ホルバイン(子)の《大使たち》(1533年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)では、二人の男性の足もとを、灰色の細長い形が斜めに横切っています。正面から見ると、何が描かれているのかわかりません。画面の右側へ回り込み、低い位置から表面をなめるように見ると、その形は人間の頭蓋骨になります。この記事では、骸骨の位置、歪んでいる理由、見える立ち位置を先に答えます。そのあとで、二人の人物、棚の道具、左上の十字架、1533年の状況を順に見ていきます。所蔵館が確認していることと、研究者のあいだで意見が分かれていることは、分けて書きます。

骸骨は、二人の足もとを斜めに横切る灰色の形

骸骨は画面の下側、二人の外交官のあいだの床に描かれています。ナショナル・ギャラリーは「二人の足もとに浮かんでいるような、歪んで引き伸ばされた物体」と表現しています。左下から右上へ、細長い灰色の形が斜めに伸びている部分です。横に強く引き伸ばされているため、正面からは板切れや骨のかけらのようにも見えます。

先に答えをまとめると、次の三点です。

  • 何か:人間の頭蓋骨です。ナショナル・ギャラリーは、この見え方の効果をアナモルフォーシス(歪像)と呼んでいます。遠近法を極端にゆがめた描き方です。
  • なぜ描かれたか:同館は、人生のはかなさを思い出させる「メメント・モリ(死を忘れるな)」であり、同時にホルバインの技量を見せるものでもある、と説明しています。
  • どこから見るか:同館は、画面の右下の角から見上げるようにすると正しく見える、と案内しています。

この骸骨は、知らなければ見えません。ナショナル・ギャラリーのカタログによれば、19世紀にこの絵がイギリスにあったころ、歪んだ頭蓋骨が描かれていることはすぐには理解されませんでした。当時の文章には「魚の骨のように見える奇妙な物体」という表現が残っています。一方、それより前の1787年、パリの売り立ての目録は、すでに「遠近法で描かれた頭蓋骨」と書いていました。説明があれば見え、説明がなければ見落とされる。その性質が、この骸骨のいちばんの特徴です。

《大使たち》の基本情報

大使たちの基本情報
項目内容
正式な題名ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴ(《大使たち》)
作者ハンス・ホルバイン(子)(1497/98–1543年)
制作年1533年(画面左下の床に署名と年記)
技法油彩・オーク板(縦に継いだ10枚の板)
寸法高さ207 × 幅209.5cm
所蔵ロンドン・ナショナル・ギャラリー(NG1314、1890年購入)

《大使たち》は通称です。所蔵館の題名は、描かれた二人の名前をそのまま並べた《ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴ》です。高さ207cm、幅209.5cmで、幅がわずかに大きいだけの、ほぼ正方形の板絵です。二人はほぼ等身大の全身像として立っています。

支持体は、縦向きの木目のオーク板10枚を継いだものです。年輪年代測定では、木材はバルト海沿岸からポーランドにかけての地域のものとされています。1998年の修復報告は、この絵をホルバインが一人で描き上げた板絵として現存する最大の作品と位置づけています。

署名は画面左下、影になった床の上にあります。ラテン語で「ヨハネス・ホルバインが描いた」という意味の文と、1533という年が読めます。注文主はダントヴィルで、絵はフランスにある彼の領地ポリジーの城へ運ばれました。1589年の財産目録には、その城にあったことが記されています。のちに1787年にパリで売りに出され、19世紀初めにイギリスのラドナー伯爵家に入りました。ナショナル・ギャラリーが購入したのは1890年です。

歪んでいるのは、斜めから見るための遠近法だから

ふつうの遠近法は、絵の正面にある一点から見たとき、形が正しく見えるように描きます。アナモルフォーシスは、その目の位置を極端に横へずらします。画面とほとんど平行な位置から見ると、物は大きく縮んで見えます。その縮み方を見越して、あらかじめ形を長く引き伸ばしておくのです。

身近な例は、道路に書かれた「止まれ」の文字です。路面の文字は縦に長く書かれていますが、運転席から浅い角度で見ると、ふつうの比率に見えます。《大使たち》の骸骨も同じ原理で、正面から見ると長すぎ、斜めから見ると縮んで頭蓋骨になります。

ナショナル・ギャラリーのカタログによれば、このような歪んだ像は、ホルバインのほかの作品には一度も出てきません。ただし16世紀には珍しい技法ではなく、ある程度流行していました。ドイツの画家エアハルト・シェーンは、皇帝カール5世やフェルディナントの肖像をアナモルフォーシスの木版画にしています。カタログは、ダントヴィルがフランス宮廷でレオナルド・ダ・ヴィンチの歪像の試みを知っていた可能性や、セルヴが1529年にドイツのシュパイアーでシェーンらの作品を見た可能性にも触れています。どちらも「可能性」であり、記録で確かめられた事実ではありません。

ホルバインがどのような手順で骸骨を引き伸ばしたのかも、確定していません。カタログは、方眼を使う方法や光で投影する方法などを検討していますが、一つには決めていません。はっきり書かれているのは、見るために特別な道具は使わないという点です。鏡や円筒は必要なく、目の位置を変えるだけで骸骨になります。

見える位置は、画面の右側の低いところ

ナショナル・ギャラリーの作品ページは、骸骨は画面の右下の角から見上げたときにだけ正しく見える、と案内しています。同じページの音声解説の文章も、絵の右側のすぐ近くから見たときに骸骨だとわかる、と説明しています。

カタログはさらに具体的です。最もよく見える目の位置は絵の右側にあり、壁面から約12cm離れ、絵の下端から10.4cm、右端から約79cmの位置とされています。ただし、この一点に目を合わせなければ見えないわけではありません。骸骨の中心とその位置を結ぶ線の上なら、ある範囲で正しく見える、とカタログは書いています。また、左から見るより右から見たほうが像を結びやすい、とも述べています。

実際に展示室で試すなら、絵の右端の近くまで寄り、壁に顔を近づけ、骸骨のある左の方向へ視線を送ります。最適な目の高さは絵の下端に近いため、展示の高さによっては膝を曲げる必要があります。骸骨が頭蓋骨の形にまとまった瞬間、二人の人物と棚は極端に縮んで見えます。骸骨と人物を、同時に正しい形で見ることはできません。

画像で試す方法もあります。スマートフォンにこの絵を表示し、画面の右端のやや下寄りに目を近づけて、画面すれすれに骸骨の方向を見てください。細長い形が縮み、眼窩のある頭蓋骨の形が見えてきます。

見る人の立ち位置そのものが作品の意味に関わる点では、《ラス・メニーナス》の解説で取り上げたベラスケスの絵とも比べられます。あちらは鏡が絵の外の人物を示し、こちらは見る人が歩くことで隠れた像が現れます。

元の展示位置は、記録ではほとんどわかっていない

この骸骨については、「部屋の出入口や階段のわきに掛けられ、退出する人が振り返ると骸骨が現れる仕掛けだった」という説明がよく紹介されます。ナショナル・ギャラリーの教員向け資料にも、扉のわきに掛けられた可能性が高い、という書き方があります。わかりやすく印象的な説明ですが、記録で確かめられることはもっと限られています。

確かな記録は、1589年1月の財産目録です。そこでは、この絵がダントヴィル家のポリジー城で、旧館の中庭の上にある大広間に掛かっていたと記されています。2024年のカタログは、この大広間が絵の最初に置かれた部屋だったかどうかは確かめようがない、としています。左右に扉がある部屋なら骸骨を見やすかっただろう、とも書いていますが、これは推測として示されています。階段から見たという説については、らせん階段は見る場所としても掛ける場所としても無理がある、と退けています。

1998年の修復報告はさらに率直です。ポリジーでの元の展示についてはほとんど知られておらず、ホルバイン自身の意図については何もわかっていない、と書いています。

左はフランス大使ダントヴィル、右は司教セルヴ

左に立つのはジャン・ド・ダントヴィル(1504–1555年)です。ポリジーの領主で、フランス王フランソワ1世の大使としてロンドンに滞在していました。ナショナル・ギャラリーは、これが彼の2度目のイングランド派遣であり、1533年6月のアン・ブーリンの戴冠式のためにロンドンにとどまる必要があった、と説明しています。カタログによれば、任期を終えて帰国したのはおそらく同年11月です。この絵を注文し、ポリジーへ持ち帰ったのも彼です。

右に立つのは友人のジョルジュ・ド・セルヴで、ラヴォールの司教です。同館は、彼も外交上の任務を帯びていたが、その内容はわかっていない、としています。ダントヴィルが1533年5月23日に兄弟へ書いた手紙には、セルヴが4月にひそかに訪ねてきたことが書かれ、6月4日の手紙でも再びその訪問に触れています。カタログは、この訪問が絵の注文のきっかけになった可能性が高いと見ています。同館は、この肖像が二人の友情と、イングランドで共に過ごした短い時間を記念するものだと説明しています。

二人の年齢は絵の中に書かれています。ダントヴィルが握る金の短剣の鞘には「AET. SVAE 29」、セルヴが肘を置く本の小口には「AETATIS SVAE 25」とあります。カタログはこれを「29年目」「25年目」と訳しており、満年齢なら28歳と24歳です。作品ページの本文も28歳と24歳としていますが、同じページの音声解説の文章には29歳と25歳という数字が使われています。数え方の違いが、そのまま残っている例です。

二人の名前は、最初からわかっていたわけではありません。1900年に歴史家メアリー・ハーヴィーが17世紀の文書を公表するまでは、トマス・ワイアットなど別の人物の名前がいくつも候補に挙がっていました。その文書によって、二人がダントヴィルとセルヴだと確定しました。

服装も対照的です。ダントヴィルは桃色の繻子、オオヤマネコの毛皮、フランス王の聖ミカエル騎士団の記章を身につけています。黒い帽子には小さな骸骨のバッジがあります。カタログは、ダントヴィルが骸骨を個人の紋章のように使った証拠はなく、当時こうした帽子飾りは珍しくなかった、としています。セルヴは丈の長い暗い色の衣を着て、聖職者らしく控えめです。

上段は天、下段は地上。二段の棚に置かれた物

二人のあいだには二段の棚があります。ナショナル・ギャラリーによれば、上段には時刻、高度、星の位置を測る道具が並び、下段の物はより地上の営み、つまり音楽や学問に関わります。上段には模様の入った敷物が掛けられています。

二段の棚に置かれた主な物
物位置確認できること
天球儀上段の左星座を描いた天の球。天体の位置を示す道具
円筒形の日時計上段、天球儀の右日付と時刻を読む携帯用の日時計
多面体の日時計上段の中央右複数の面で時刻を示す日時計
本(年齢の銘)上段の右、セルヴの肘の下小口にセルヴの年齢が書かれている
地球儀下段の左ダントヴィルの領地ポリジーの名が入っている
算術書と直角定規下段の左手前ペーター・アピアンの商業算術書。割り算のページが開かれる
リュート下段の中央右弦が1本切れている。ケースは床に伏せて置かれる
笛のケース下段の右端ケースに収まった笛のうち、1本が欠けているように見える
賛美歌集下段、リュートの手前ルター派の賛美歌集。ルターによる2曲が開かれる

下段の地球儀には、ダントヴィルの領地ポリジーの名が入っています。ポリジーは実際にはパリの南東にありますが、カタログによれば地球儀ではパリの北東に描かれています。

算術書は、ペーター・アピアンが1527年にインゴルシュタットで出した商人向けの算術書です。直角定規に押さえられて開いたページは「割り算をせよ」という意味の語で始まります。その近くにはコンパス(ディバイダー)もあります。

右側のリュートは、弦が1本だけ切れています。右端の笛のケースは、1本が欠けているように見えます。リュートの手前に開かれた賛美歌集は、ヨハン・ヴァルターが1524年にヴィッテンベルクで出版したルター派の賛美歌集をもとにしています(カタログによれば、ホルバインが参照したのは1525年版です)。開かれているのは、ルターによる「来たれ聖霊」と「十戒」の2曲です。カタログによれば、この2曲は元の本では連続したページにありません。ホルバインは、2曲を選んで見開きに並べたことになります。

上段の道具は、ホルバインが1528年に描いた天文学者ニコラウス・クラッツァーの肖像に出てくる、いくつかの道具とよく似ています。ただし、絵の中の道具がそのまま正確に使えるかどうかには議論があります。これは後の節で触れます。

左上の端、カーテンの陰に十字架がある

画面の左上の角を見てください。緑のダマスク織のカーテンが少しめくれ、その陰に銀色の十字架がのぞいています。ナショナル・ギャラリーは、骸骨と同じように隠された物として、この十字架を紹介しています。

カタログによれば、十字架は暗がりの中に、画面に対して直角の向きで掛けられています。骸骨と同じく、わざと見つけにくくしてあるという見方です。また、十字架の絵の具は緑のカーテンの絵の具の上に重なっているため、制作の終わり近くに加えられた可能性があります。キリストの姿は、ホルバインがバーゼルで描いた受難の祭壇画のキリストと比べられています。

十字架の意味について、同館の作品ページは、十字架がキリストの犠牲による救いという、すべての人に共通する希望を表しているため、キリスト教の一致をほのめかしているのかもしれない、と書いています。カタログはもう少し踏み込み、骸骨が示す死に対する答えは復活であり、十字架はそのために左上に置かれている、と述べています。画面で最も目立たない二つの物、つまり歪んだ骸骨と端の十字架が、死と救いという大きな主題を受け持っていることになります。

1533年のロンドンでは、宗教と王権が揺れていた

1533年は、イングランドにとって大きな転換の年でした。ナショナル・ギャラリーは、ローマ教皇が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚の無効を認めなかったため、ヘンリー8世がまもなくローマ・カトリック教会と決別する、という状況を説明しています。ダントヴィルがロンドンにとどまった理由の一つが、新しい王妃アン・ブーリンの戴冠式でした。

ヨーロッパ全体でも、ルターの宗教改革によってキリスト教世界が割れていました。セルヴは1529年に、ドイツの人々に対立を捨ててキリスト教世界をもう一度一つにするよう訴える文章を書いています。カタログは、ルター派の賛美歌集が選び抜かれた形で描かれていることを、こうしたセルヴの姿勢と結びつけて検討しています。

床の模様にも目を向けてみます。カタログによれば、幾何学模様の大理石の床は、1268年に敷かれたウェストミンスター寺院の内陣の床に似ていますが、同じではありません。この内陣は、イングランド王の戴冠の場として使われてきた場所です。

こうした背景から、棚の物を不和の象徴として読む解釈が生まれます。切れたリュートの弦、欠けた笛、割り算のページは、調和を失った状態を思わせます。同館の作品概要も、棚に並ぶ物は不和をほのめかしているように見える、と書いています。ただし「見える」という書き方が大切です。どの物が何を意味するかを一つずつ確定できる記録は、残っていません。

日付、道具、修復。解釈が分かれる点

《大使たち》には、謎解きのような説明が数多くあります。ここでは、所蔵館のカタログが慎重な立場をとっている点をまとめます。

日付の説:科学史家ジョン・ノースは、円筒形の日時計が4月11日を示しており、それは1533年の聖金曜日(キリストが十字架にかけられた日を記念する日)だと論じました。教員向け資料にも、4月11日の午前という読みが紹介されています。しかし2024年のカタログは、この日時計では4月上旬と8月中旬、午前と午後を区別できない、と指摘しています。天球儀からは7月10日の午後2時40分ごろという別の計算も出ています。カタログは、道具の読みは特定の日付や時刻の根拠にならず、わずかにわかっているセルヴの訪問時期とも結びつかない、としています。

道具の正確さ:美術史家ジャンヌ・ニュークターライン(Jeanne Nuechterlein)は、道具の不正確さはホルバインが意図して描いたものだと論じています。カタログは、天球儀の緯度がローマの緯度にあたる北緯42度前後に合わせてあることも記しています。偶然の誤りか、意図的なずらしかは、決着していません。

見るための道具:ガラスの円筒に骸骨を映して見るという説明もありますが、カタログは、その方法が16世紀に記録されていないとしています。曲面鏡を使ったという説もあります。一方でカタログ自身は、骸骨を見るのに道具は不要だという立場です。

修復で補われた部分:1998年の修復報告によれば、骸骨の中央部分には古い損傷がありました。1891年の修復では損傷した骸骨が補筆で再構成されましたが、1990年代の修復では、その補筆を「推測が多く不正確」で、ホルバインの絵の具の一部を覆っていると判断し、その多くを取り除きました。下あごの先と、鼻の部分の骨の一部は失われていたため、修復チームは骸骨の画像に遠近法の変換をかけ、本物の頭蓋骨の模型を同じ光で撮影して比べました。そのうえで、鼻の骨と下あごの先を控えめに復元しています。この復元は簡単に取り除けるようにしてあります。私たちが見ている骸骨の鼻のあたりには、修復による推定が含まれているのです。

画面が後の時代に変わった例としては、《夜警》が1715年に切り詰められた経緯も参考になります。今見ている姿と、画家が描き終えた姿は、必ずしも同じではありません。

メメント・モリとして読む。死を前にした二人の友人

ナショナル・ギャラリーによれば、ルネサンスの肖像画は、人生のはかなさを思い出させる「メメント・モリ」として注文されることが多くありました。骸骨はその役割を担い、同時にホルバインの腕前を宣伝するものでもある、というのが同館の説明です。

カタログによれば、当時は宗教画や肖像画に頭蓋骨が入り込むことは珍しくなく、墓の彫刻にも骸骨がよく表されました。ホルバイン自身も、人々のもとに死神が訪れる「死の舞踏」の木版画連作を作っています。この連作は1537年の出版で、絵より後ですが、二人の全身像と骸骨の組み合わせが出てきます。木版画では死が勝ちます。一方で、研究者ボンフォードは、《大使たち》は二人の有徳なキリスト教徒が死に打ち勝つことを示している、と論じています。

カタログはまた、アンドレア・アルチャートの寓意画集にある「死後も続く友情」という標語に触れ、ボンフォードがそれを二人の友人の肖像にふさわしい言葉だと指摘したことを紹介しています。友情を記念する絵に死を描き込むことは、矛盾ではありません。死を前提にしたうえで、それでも続くものを示す読み方ができます。

画面の作りも、この読みを支えます。地位、学識、楽器、地図、天文道具。二人が持つものは正面からすべて見えます。しかし骸骨だけは、正面からは見えません。骸骨を見るには、二人を正しく見る位置を離れる必要があります。そして骸骨が見えたとき、今度は二人の姿が歪みます。人生の成果と死を、同じ位置から同時に見ることはできない。この仕組みは記録された意図ではなく、画面から読み取れる構造です。

《大使たち》を見る順番と、壁紙にするときの注意

  1. 正面から全体を見て、二人の顔と服の違いを確かめる
  2. 上段の天球儀と日時計を、左から右へ一つずつ見る
  3. 下段の地球儀でポリジーの名を探し、算術書の開いたページを見る
  4. リュートの切れた弦と、手前の賛美歌集を見つける
  5. ダントヴィルの帽子にある小さな骸骨のバッジを探す
  6. 左上の角へ移り、カーテンの陰の十字架を見つける
  7. 足もとの灰色の形へ戻り、画面の右端から表面すれすれに見て骸骨にする
  8. もう一度正面に戻り、骸骨、二人、十字架の位置関係を確かめる

細部を順に見てから全体へ戻る流れは、知識なしで作品を深く見る5分間の鑑賞法でも使えます。

壁紙にする場合、この絵には特有の問題があります。高さ207cm、幅209.5cmのほぼ正方形だからです。16:10のディスプレイで画面いっぱいに表示すると、高さの約37%が切り取られます。縦横比が約1.55:1のMacBookでも約35%です。二人の帽子の上端は画面の上端から約1割のところにあり、骸骨は下から約4分の1の範囲にあります。顔を残すと骸骨が消え、骸骨を残すと顔が切れます。骸骨は画面下のDockと重なりやすい位置にあります。左上の十字架も画面の端に寄っているため、切り取りやメニューバーで失われやすい細部です。

全体を残すなら、画面に合わせて左右に余白を出す表示を選びます。16:10の画面では、絵は横幅の約63%を占めます。逆に、縦向きのiPhoneで画面いっぱいにすると、今度は左右が半分以上切れ、骸骨と棚が残って二人の大使の大部分が消えます。どの形の画面でも、骸骨と二人を両方残すには、余白を受け入れる必要があります。表示方法ごとの違いは、MacBookの壁紙解像度とクロップで詳しく解説しています。

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